Follow Me Japan, Japan Specialists
'My Dream, My Journey' - Follow us to Japan and make your dream trip come true. This company with a perfect blend of Japanese sophistication and Singaporean ingenuity - Follow Me Japan - is dedicated to offer you the Best of Japan. With our rich history of more than 40 years of experience and heartfelt commitment, we have built a strong reputation of offering the highest quality customized Japan holiday tours with your interests at heart.
As the pioneer in introducing the much sought after, unique and seasonal 'Fly & Drive' tours, Follow Me Japan is constantly innovative in creating products that will enhance your travel experience. From 'Free & Easy' packages for intrepid and adventurous travel to 'Coach' tours designed for families, you will definitely be spoilt for choice and find one that you can call your own.
Every travel experience is assured of responsive and personalized service, well-appointed traditional or modern accommodation and an assortment of the freshest and tastiest Japanese cuisines. Today, our company is synonymous with professionalism and excellence, both in itinerary as well as customer service, made possible by our unwavering objective of understanding our customers and delivering the best to you.
Visit Japan for an unforgettable experience.
From Singapore, a direct flight to Japan is less than 7 hours and, with only one hour time difference, there is no jet lag. Importantly, Japan boasts a high level of public safety, which means peace of mind for the overseas visitor. With its unique blend of the modern and the traditional - from the fast pace of modern industry, business, fashion, entertainment and the lingering elegance of history and culture - Japan truly is a wonderful holiday destination. Japan is also known as a country of stunning natural beauty, boasting a number of World Heritage sites, including the exquisite temples of Kyoto and Nara and the charming thatched roof dwelling of Takayama. The distinctive seasons of Japan highlight nature's grace, whether tinted with warm autumn colors or topped with snow. In spring, the famous cherry blossoms delight the senses.
● About Fly & Drive Tours
What is a better way to experience Japan than a personalized road trip where you can enjoy Japan's scenic wonders and historical depths at your own pace? Follow Me Japan is proud to be the pioneer in introducing 'Fly & Drive' tours to Singapore. With the freedom of choosing your places that you are interested in, assisted by our dedicated staff and reliable GPS system in your car, this will truly bring you to the next realm of travel experience. So take a bold step and experience FREEDOM in your next travel with us - FMJ Fly & Drive style.
● About Coach Tours
If you prefer a hassle-free travel experience with a difference, Follow Me Japan has the answer. Each of our coach tours is carefully crafted and designed to give you ample time to enjoy breathtaking views, taste local cuisines and participate in fun filled activities that Japan has to offer...it will truly be an unforgettable journey from start to end and that's our promise! So come and experience Japan with us - FMJ style.
OUTSTANDING
ENTREPRENEURSHIP AWARDOUTSTANDING
ENTREPRENEURSHIP AWARD
OUTSTANDING
ENTREPRENEURSHIP AWARD
Ven Nishimura
Managing Director
Prime Travel & Tour Pte. Ltd.
When Ven Nishimura (or Ven-san), 69, Managing Director of Prime Travel & Tour Pte. Ltd., talks about his company and his achievements, he seems like a 21 year-old. Enthusiastic and full of ideas and aspirations for the travel industry, it is hard to keep up with what his mind is racing to do next. Hailing from Japan’s southern island of Kyushu, he made history with Singapore Airlines in his earlier years when he was the first to initiate direct flights between Singapore and Tokyo. Brimming with determination to increase passenger traffic from Singapore to Japan, he started Prime Travel & Tour Pte. Ltd. in 1979. He worked hard to establish his company as the foremost expert on travel to Japan. Together with his daughter, Risa, they introduced Follow Me Japan to stimulate and promote tourism to Japan. Soon, his accomplishments were recognized and he became a roving ambassador for the island of Hokkaido and a frequent speaker on the travel industry circuit.
When it comes to work, Ven-san commands loyalty by giving loyalty. A recent survey marveled that 75% of the staff has been with the company for 5 years or more. But he questions whether he needs to challenge his staff to strive for better, remarking that “perhaps, they’re too comfortable!” Clearly, he wants his staff to share his work ethos to be the best that one can be.
This philosophical nature of Ven-san, permeates all aspects of his daily life and it is infectious. To him, the goal of life is to be able to contribute “perfectly” to society. And by “perfectly”, he means that that perfection that constantly drives us to unknown areas and pushes us beyond the limitations that we subconsciously set for ourselves. He quizzes, “You need to ask yourself, ‘Did you live?, if the answer is ‘No’, then you are not done yet.”
As for the continuity of the company, Ven-san understands that people come and go, but what remains are the values that transcend boundaries; and which need to be communicated to all who work with him. He frequently reminds that one needs to consider different opinions and perspectives, “If you are a circle and I am a square, and we use a straight ruler to measure our worth, you are only going to see one of my 3 sides, and I am only going to see a single point of your entire circumference. You know what we need? We need some string.”
(from Asia Pacific Entrepreneurship Awards 2013 - SINGAPORE'S SUCCESS STORIES)''See, Unseen.
Read, Unread.
Know, Unknown.
Then
Do, Undone.''
Ven K. Nishimura
西村紘一 にしむらこういち
1943年12月8日、熊本県生まれ。1968年にノースウェスト航空(大阪支社)に入社、70年、シンガポール航空(大阪支社)に入社。課長、次長、西日本営業部長、マネージャージャパン(日本支社)を歴任。77年、シンガポール本社へ異動、アジア支社長付。80年にプライムトラベル(Prime Travel Tour P/L)を設立。現在は同社の代表取締役社長。シンガポールからの訪日旅行促進に大きく貢献し2008年、国土交通省からYOKOSO! JAPAN大使(現VISIT JAPAN大使)に任命される。
「明日は今日より励んでみよう。」
西村紘一
夢の懸け橋
6月16日私はシンガポール、マレーシア、タイに続き、インドネシアに新会社を立ち上げた(注)。これでようやくアセアンと日本の交流を更に促進する 4本目の橋が完成した。
このネットワーク構築に9年の年月をかけた。この構想の原型は45年前、私が23歳でインドネシアを除く3カ国の大学を訪れたときにまで遡る。過去の戦争による日本の占領を詫び、これからのアジアの平和と繁栄を我々青年の手で築いていこうと語りかけた青春時代の夢いっぱいの旅が始まりだった。
金もなき旅は移民船チャチャランカ号の船底であり、神戸港より最初の寄港地シンガポールまで10日間もかかる時代だった。独立1年未満のシンガポールはヤシの木が多く、雨が降ればオーチャード道路近辺の道はぬかるみ、10セントを追いかける少年も沢山いた。
この旅に始まった4本の懸け橋への青年の夢は45年の歳月を経てようやくたどり着いた。当面の目標はこの4カ国から日本へ10万人を送り込みたい。先遠き道だけど、45年続けてこられたのであれば、あと5年、半世紀の時をかけて実現させたい。
夢を実現するためには、夢を捨てないこと。自らの本能が語るならばなおさらである。人は愛するために戦う。悩まぬ人生もなく、迷って初めて夢は君の傍に近づいてくれる。傍に見える夢があれば、人は生きていける。シンガポールに渡り35年が過ぎた今でも何故日本を愛し、心配するのか。今日より8回にわけて私を振り返るとともに、この「素描」を通して明日の日本を背負う若者にエールを送りたい。
(注: 2012年6月16日、ジャカルタ市内に営業所を開設したが、2013年11月末を以って閉鎖した。)
少年期
親父の事業が失敗し、熊本から大阪に転校した中学1年。家は貧しく、毎月のPTA会費280円が払えなかった。いつも「忘れました」と言い続けたが、1学期が終わる日、先生から「今から家に帰って持ってきてください」と言われた。
家に帰っても、母は毎日夜遅くまで働いていたのでいない。公園のベンチでどうしようもない気持ちで時間を過ごし、学校へトボトボと向かった。教員室では、先生がこちらを振り向きもせず、「持って来ましたか」と冷たく言った。13歳の少年は泣くまいと強く手を握り締め、「家には誰もいませんでした」と答えたが、心では「こんな大人だけには、決してならない」と強く叫んだ。少年の目は涙で溢れていたことを覚えている。体育の時間はトレーニングパンツが買えず、「おなかが痛い」と嘘をついて保健室に行き、習字の時間は硯が買えず、先生に「忘れました」と答えていた。一学期の通知表には「忘れっぽい」と書かれる始末だった。
そんな貧しい中学生活の中、ある朝、学校に行って机を開けると真新しいノートや鉛筆がいっぱい入っていた。驚いて周りを見わたすと同級生らが私の顔を見て、黙ったまま「使って」と伝えてくれるのが分かった。恥ずかしさと悲しさで胸いっぱいになり、彼らの思いやりに声も詰まった。
高校は入学したものの借金取立人が怒鳴りながら家に来て、全ての物を持って行く日々。家にいない親父の代わりに母は謝るばかり。そんな状況で弟妹には自分の歩んだ道を歩ませたくない、学校に通わせたいと思い、高校1年生の春休みにとうとう家出をした。
青春の海、波高し
16歳の少年は一冊の文庫本を持って家出した。当時の立命館大学総長末川博さん推薦の「きけ、わだつみの声」である。敗色濃い太平洋戦争末期、沖縄に迫る圧倒的敵米艦隊の前進を阻止せんと特攻隊に乗り込み、人間爆弾となり散った東大、京大、阪大等の学徒2千有余名が家族に送った手紙集である。強く心打たれたことは、敗戦を知りながら、負けた後の平和時に残る人々の生活を思っていたこと。折角ここまで育ててくれた両親より先に逝くことを詫びながら。
10歳の妹に親を託す文に私は泣きじゃくった。そして、申し訳ありません、必ずいい国にしますと誓う。
高校時代は新聞配達所に住み込み、大人の2倍を配り家に仕送る。私の居場所がわかった母は11歳の弟に文を持たせ「帰ってくれ」と云う。忘れ得ぬ一文、「野人の強さも一見男らしく見えますが、そこに品位を持ちなさい」という言葉は今も鮮明に心に残っている。
大学時代はウメカン書店という本屋を任され、後輩を雇い朝10時より夜12時迄店を開ける。本屋の深夜営業は日本初であった。閉店後は国鉄、阪急、阪神の終電後に、日雇い労務者のリーダーとして当時4キロの長さの地下商店街とトイレのマンホール内を始発電車前まで清掃した。4年間365日1日も休まず。夕方は私塾「チャターズ」を創り「どんな職につけどもリーダーであれ」と説く。昼間の本屋の坪当たりの売り上げが西日本一になり、さらに日本一にするため「大阪駅ビルの上に最大の本屋を創りたい」と富国生命大阪支店長に資金の工面を依頼するが通じず。今そこは大阪駅再開発で繁栄している。
私とベトナム戦争時代
英字新聞の広告「米軍の横田基地勤務」を頼り、ウメカン書店を後に東京へ。シュメーカーという米国人の面接を受けた。応募者の多くは黒人と日本人の混血児。戦後駐留米軍黒人兵と日本人の女性の間に生まれた子供達だ。面接ではどんな任務にも就くと訴えた。試験用紙には、ベトナムのカムランベイというソビエト潜水艦隊の重点寄稿地、後に陥落するダナンや空軍基地に行くか?の問があり、「YES」と即答。理由は現地で死ねばUS15万ドル(当時、1ドルは360円)が支払われるから。それだけのお金があれば母や弟妹の将来も安心だと思い、家の為に死ぬことは怖くはなかった。
結局、横田基地に勤めたが、基地には当時、ベトナムからの軍の輸送機が経由地として頻繁に着陸していた。帰還先は本国のトラビス空軍基地で、戦士した兵の多くが運ばれていた。横田基地では1日16時間にもなる勤務もあり、同僚は辞めていった。
休日は私塾チャターズメンバーの一人(愛称、マーク)が日本赤軍に入っていることを聞き、彼のアパートを訪ねた。ドアを開けた男は後に日航よど号ハイジャックの主犯となる田宮高麿。「マークはいるか」と聞くと葛飾署に留置されているという。署に行った私は赤軍の一員と思われて小突き回されたが、なんとか、刑事に無関係が理解され、マークを赤軍から離脱するよう話してくれと頼む。後に私を訪ねてきた彼は一児の父となり建築士となっていた。
私は横田基地にいることが戦争に加担している気がして、民間で働きたく大阪へ戻り、ノースウエスト航空に入社した。
怒涛のSIA時代
ノースウエスト航空を3年務めた後、1972年、私はアジアの新鋭航空会社マレーシアシンガポール航空に呼ばれる。同年8月2日シンガポール航空(SIA)として分社独立した初フライトは乗客8名の惨憺たる出発。大阪国際線に乗り入れる14社中ビリの会社だった。そこで私は格安攻勢をかけ、翌年JALを破り、搭乗率トップへ躍り出る。その後の連勝も認められ、私は入社3年で課長、部長、西日本営業部長へ昇進する。
この頃、SIAのピレイ会長が大阪を初訪問したが生憎の春闘時期。組合員が赤ハチマキでストをすると脅かすのを見て「大阪事務所は共産党で占拠されている」と苦言を呈する。これに反発した私は会長に「貴方はリーダーの資格なし」と言い放ち、翌日首となる。
反発の理由は、会社をトップにした最も誇りに思う10人の部下の気持ちを理解していないと思ったからだ。だが、私は日本支社長の補佐として東京で再採用される。彼は言った。「西村は首にした。しかし VEN(私の通称)を雇った」と。「士は己を知る者の為に死ぬ」と解し、2日後に赴任。実質SIAの日本人トップとなる。32歳。後に本社アジア部へ転出。東京-シンガポールの直行便実現が私を突き動かした。
本社は「東京からシンガポールへ来る日本人は1日10人程度。それでも直行便なのか」と言ったが、私の答えは「マーケットは創るものだ」だった。2年後に実現した直行便は初フライトより2週間満席。思えば200人の中から一人選んだと言われ、意気に感じて入社。全力投球で大阪、東京そして本社へ。使命完了でSIAを辞する。
プライムの変遷と私の挑戦
1979年、プライムトラベル創業。主にソニー、松下電器(現パナソニック)、シャープ、ファイザー製薬等の日系企業の業務渡航を手掛け、会社売り上げも伸び、創業29年目にあたる2008年にはシンガポール全中小企業9万社でナンバー4に名を残すまでとなった。しかし、道のりは挑戦の連続であり、決して順調とは言えない。
創業後、海外では東京、ロサンゼルス、ブリスベン、ベトナム、香港、上海と支店を拡げるが、1991年ゴルフ場建設事業でパートナーが倒れ、保証人であった私は全ての財産を失くす。全地域より撤退を余儀なくされたが、15年の歳月をかけその借金を完済し、現在はシンガポール、クアラルンプール、バンコクと札幌の4か国4都市で展開する。
1989年には現在のプライムクルーズアジアという豪華船の世界航路を販売する会社を立ち上げ、23年目に入る。そして日本行き専門の旅行ブランド「FOLLOW ME JAPAN」を2000年に立ち上げ12年目となる。このすべての会社総勢100人弱が今日のプライムトラベルグループである。
思えば各々の会社が「もう駄目かな」という経験は33年の歴史上30~40回ぐらいはあったかと思う。倒産しなかったのは自らの責任が私を支え、素晴らしきスタッフに恵まれたからである。思い起こせば成功したと思ったことはただの一度もなく、只々会社は倒れなかったという実感しかない。
2001年であったと思う。娘の理佐がプライム本体のプライムトラベルを「継ぎたくない。怒りますか」と聞いてきた。私は「怒るよ」と答える。私に言いだすのに何年も疑問を持って我慢していたからだ。そのことを叱るも「好きなことをやれ」と答える。理佐は日本行きツアーを大きくし「日本とシンガポールの人と人との交流」をしたいと言う。彼女はそこから始まったFMJを2008年独立会社「Follow Me Japan」の社長となるまでに育て上げる。社員15名ほどになったFMJは2010年に送客5千人を超え、年商10億円台に伸び、40億円の売り上げがあるプライム本体を利益で追い抜く。
ここに至ったのは2005年に北海道のシーニックバイウェイ会議に娘と二人で呼ばれたことに始まる。その会議での「外国人に北海道でドライブ旅行をしてもらい、経済を元気にしたい」という北海道開発局のI氏の情熱に惚れ、全ては始まった。2005年当時、シンガポールの訪日者のうち、北海道へは1800人ぐらいと記憶する。札幌滞在時に見た、空車のタクシーの列、職がなく子育てに困り生活保護を受ける母親の報道に二人は心を痛め「北海道を売ろう、何かの役に立ちたい」と語る。
日本初の外国人ドライブツアー。そこに私は160人乗りのA320機をチャーターし、満席で札幌へ第一便を出す。千歳空港ではレンタカー49台が迎えた。2005年に2~300台だった外国人レンタカー市場は10年で道内1万台を超える。2005年が北海道ブームの元年であった。その成果が評価され、2008年国交省より「YOKOSO JAPAN大使」に任命された。
岐阜との出会いと私の仲間
北海道の想いに応えたように、岐阜には古田菜穂子県観光交流推進局長さんがいた。シンガポール観光・物産ミッションでの出会いで意気投合。その後出会う岐阜県の多種多様の人間像群は官民共に他に類を見ず、官民チームの総合点は日本一。古田肇県知事のリーダーシップは、古田局長とのコンビで訪日外国人の伸び率で2010年に日本一を達成した。
今般、「若者の為に」と本欄を書かせてもらった。山だと思い超えてきた山は、振り返れば丘でもあった。苦しくて当たり前。悩まぬ人生もなし、ましてや今の世の中。人は困らなければ動けない、それなら困ったことを幸せだと自分に言い聞かすこと。何故なら困ると何とかしようと考える。若い人は辛い道と楽な道があれば、辛い道を選んでほしい。あとに知恵が蓄積されるから。
最後に、私が新婚間もない27歳の時、妻に送った分を原文で載せ、若い人へのメッセージに替える。「心病める時あらば読むべし」の題で。
「独立のその日の一刻もはやからんことを願う。魂の炎は蛍雪の連峰を超えて揺らぎ暗がりに輝く。独立が私を呼ぶ。そこにおける活動は私の喜びであり君のそれである。何らかの形できっと実現してみせる。人の長所は限りなく展開する、そんな共に立つ独立の仕事が欲しい。激務を生き甲斐と感じられる自分を築くために。明日は今日より励んでみよう。心に残る生存の影に満たしつつ、今日という過去を明日は抱こう。」
振り返れば、私はその道を生きてきた。女房は憂士、娘は同士、社員は夢追い戦士、これらの人全員が私の宝である。
(2012年9月15日岐阜新聞社発行「素描集」第210集に掲載)
The Japan Tourism Agency Commissioner Award
Mr. Ven K. Nishimura, Chairman, Prime Travel & Tour Pte. Ltd. had received the Japan Tourism Agency Commissioner Award in 2015 for his tremendous contribution to the Japan-bound travel business for 35 years in Singapore, especially for increasing Singaporean repeaters to Japan by creating high-quality rent-a-car travels, through his innovative, challenging and dauntless spirit as the industry leader.
The award ceremony was held on the 1st of October, 2015 in Tokyo.
Distinguished Achievement Award of Hokkaido 「北海道功労賞」
Mr Koichi Nishimura, Chairman of Follow Me Japan Pte Ltd (Singapore) and Prime Travel & Tour Pte Ltd (Singapore) has been awarded the Distinguished Achievement Award of Hokkaido 「北海道功労賞」, the highest prize among the awards given by the governer of Hokkaido. It is given to individuals or organisations whose work contributed outstandingly to the development of economy, society and culture in Hokkaido.
As the pioneer of the Hokkaido drive travel boom in Singapore, Mr Koichi Nishimura started Hokkaido drive tourism using rental cars. As a result, the attractiveness of Hokkaido drive tourism spread to people across Asia. In this way, he contributed greatly to the promotion of industries in Hokkaido, especially tourism.
The award ceremony was held in December, 2018 in Sapporo.